前回のお話したとおり、わたしのうつ病の原因は以下の2点です。
- モラルハラスメント 40%
- アナジー(anergy)効果 60%
(↓こちらに記してあります)

今日はモラルハラスメントについて、どんな目に遭ったかお話します。
不吉な予感

3年ほど前に元凶となった上長が赴任してきました。
最初に得意先へあいさつ回りをします。
このときから変な人だと思っていました。
ただ挨拶だけして話題を広げる話法が無いのです。
直観的に部下を支援できる能力は無いのでは?と思いました。
その予感は的中しました。
受容と共感のない人
次に、赴任直後にもかかわらず、みんなで当時遂行していたプロジェクトを批判したり、否定する発言が目立ちました。
それまでのいきさつを知ろうともしません。
説明しても理解を示そうとしません。
受容と共感のない人だとわかりました。
面倒な人
報連相すると、返答の話が長い。
長時間、部下を立たせたまま話は脱線を続けます。
話しながら自分の考えをまとめる人で、部下にとっては一番迷惑なタイプです。
部下に寄り添わない人
難しい得意先へは上長と同行することがあります。
通常、上長はknowledgebleな人が多く、得意先のニーズに合わた会話ができる人が多いです。
ところが、この上長は同行しても部下の横に突っ立っていているだけで最後に表敬の挨拶をする程度でした。
同行が終わった後、あれこれ指示を出します。
殆ど得意先が言ったことのオウム返しです。
それはいいのですが、部下の意見は聞きません
部下に丸投げする人
一方、コンプライアンス遵守には血道をあげていました(それは大切なことですが)。
コンプライアンス遵守の協力を得意先に説明するのは難しい先も多いです。
こういう場合は上長同行で話すとしぶしぶ納得する得意先はわりと多くいます。
それでも現場に同行するのが嫌だったようで、すべての交渉を部下に押し付けます。
部下のストレスは増大する一方です。
交渉がうまくいっても何の労いもありませんでした。

新製品発売を控えて
この上長の最大の使命は翌年早々に発売を予定していた新製品の拡販を成功させることでした。
わたしは前年からこの製品の販売は難航する可能性があるとみていました。
発売前の得意先の反応がこれまでになくよくないのです。
製品特性は競合品と比べても勝る点は多いのですが、競合品の性能で十分、と判断する得意先が多かったのです。
とくにこの傾向は県内最大市場をかかえるわたしを含む3人のスタッフのエリアで顕著でした。
考えが硬直している上長
新製品の展開に向けて様々な工作を打っていきました。
しかし、十分な手を打ったつもりが、新製品の性能について様子見を決め込む得意先があまりにも多いことが浮き彫りになってきました。
発売直後、予想通り全県でこれまでにないスロースタートでした(全国的な傾向でした)。

それでもわたしの所属するブロックは全国で上位の実績でした。
この製品の難しいところは、競合品に対して全く新しいスペックを導入しているところです。
かなり多くの得意先が経験のないタイプの新製品に困惑していました。
主要な得意先ほど、新規契約を様子見する傾向が続きました。
その間、ブロックの他の営業所は少しずつ実績を伸ばしつつありました。
焦った上長は対策会議やミーティングの回数を増やしていきました。
(会議の多い事業体は多くは失敗の前兆です)
大抵、実績の上がらないときに会議を増やすと、会議の準備や会議中の叱責などでやる気が無くなります。
さらにその分、現場周りの時間が無くなります。
さらに、意味のないトレース表を多数作成させられます。
これも時間のムダです。
負のスパイラルに嵌ってしまいました。
達成感のない中、仕事を頑張り過ぎた
わたし達は新製品の展開が難航する中、本社スタッフの支援を要請し、かなり難しい工作が奏功してようやく成果を上げた先もでてきました。
しかし、上長からは何の労いもありませんでした。
わたしは達成感を感じなくなりました。
契約先が増えれば仕事が増えて負担が増える、、思考が歪みはじめました
それでも部下をサポートしない人
会社の体制が激変する中、得意先との間で経験のない難しい交渉事が増えてきました。
上長に協力を要請しますが、消極的でした。
結局は上長自身も経験がないので部下に丸投げして逃避していたのです。
援護射撃を得られないまま、何とか情勢を好転させるべく現場で孤軍奮闘しました。
そこに労いの言葉ひとつもありません。
わたし以外にも被害者はいました。
復職後知ったのですが、その被害者(同僚)は内部告発に備えてこの上長のモラルハラスメントに遭うたびに詳細なメモを残していました。
とにかくこの上長は問題のある人物だったということです。
うつ状態の顕在化
このころからこころに変調を来たす様になりました。
営業所の新製品の実績が伸びず、報告した週報に対する上長からの返答も焦りのせいか、現場スタッフの努力を逆なでする内容や叱責する内容が増えてきました。
それを読むとストレスになるのでもうだれも週報の上長返答欄を見なくなりました。
わたしはこころを落ち着けるために服薬する薬物の量も増えていきました。
成果があがっても何の達成感も感じなくなっていきました。

悪化する症状
休職の6か月ほど前から、原因不明の肩こり、腰痛、倦怠感、日中の強い眠気、不眠、悪夢、などが出てきました。
ずいぶん悩まされました。
明確なストレスサインです。
しかし当時こうしたサインがうつ病の前兆とは知りませんでした。
主治医からは度々休職を勧められました。
しかし、仕事に穴を開けることになるし、他のスタッフの負担が増えます。
それに休職自体がキャリアの終わりだと思い込んでいました。
自殺を考え始める
休日にランニングや水泳をすることもありました。
通常、運動するとストレスが軽減あるいは消失します。
しかし、この頃には運動をしてもストレスは抜けなくなりました。
ようやく自分でも何かが変だ、と思い始めました。
休職の3か月前からは自殺を考えるようになりました。
休職の1か月前から遺書のかわりに不定期に日記をつけるようになりました。
毎日死ぬことを考えていました。
強い胸痛が出る日も出てきました。
さらに強いストレスサインです。
とどめ刺し
この頃ダメ押しのモラルハラスメントが来ました。
わたしの実績が上がらない要因について、上長はわたし抜きで勝手にでっちあげてブロック長に報告していたことです。
内容をこっそり教えてくれたスタッフがいました。
現状に反している内容でした。
これまで実績を牽引してきたわたしにとって容認しがたい事態でした。
上長との人間関係は完全に崩壊しました。
これはチームの崩壊を意味します。
このころ、チームのほとんどのスタッフの動きが後手に回り数字があがりにくくなっていました。
みんな焦っていました。
上長も焦っていました。
もう手遅れです。
案の定、わたしの所属する営業所の新製品の実績はブロック内で最下位(ブロック全体では全国1位)になりました。
この上長の実施したマネジメントは完全に失敗しました。

上長は全てにおいて「現実」と「部下」と向き合わずひたすら逃げ回りました。
当然の帰結です。
休職
わたしの日記には、仕事が厭だ、死にたい、という文言が増えてきました。
全ての現実が受け入れられなくなりました。
医師からこれ以上の仕事の継続は危険、ドクターストップで休職になりました。
人をうつ状態に追い込むのは簡単です。
寄り添わず、孤独に追いやればいいのです。
恐ろしい事実です。
そして消えた上長
1年以上うつに苦しんでようやくならし勤務が始まる直前、この上長は役職定年と同時に自主退職しました。
代わりのポストも用意されず、
もう現場に戻ってもやっていける自信がなかったのだと思います。
ーーー続く。

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