わたしの作り出した不安

うつへのみち

前回までお話したとおり、わたしのうつ病の原因は以下の2点です。

  • モラルハラスメント 40%
  • アナジー(anergy)効果 60%

実はもうひとつ、わたしの作り出した「架空の不安」という悩みもありました。

それは「妻の障害や将来への不安」のことです。

妻と息子はわたしをうつから救ってくれました

家族は穏やかに暮らしてします。

(↓こちらもご覧ください)

うつ病のわたしを支えてくれた人たちの共通点
わたし一人ではうつ病は回復できなかったうつ病は孤独な病気かもしれせん。でも、支えになってくれる人が少なからずいるのも事実です。うつ病のわたしを支えてくれた人たちには共通点があります。わたしを支えてくれた人の共通点とにかく話を聞いてくれる肯定...
嫁さまのこと
わたしがうつから回復しつつあることは、嫁さまのお蔭と言っても過言ではありません。うつは環境要因もさることながら、患者本人の心に巣食う悪魔との闘争かもしれません。嫁さまは、ひたすらわたしをそっと見守ってくれました。嫁さまは6年前脳腫瘍を患いま...
息子とわたし
川崎病毎年クリスマス付近はわが家にとって大切なルーティンがあります。わが子の年一回の小児科受診です。理由は川崎病の後遺症発現の有無を確認するためです。息子は4歳のとき、ちょうど三連休だったので息子だけ嫁さまの実家に預けました。妻は脳腫瘍の手...

妻の病のこと

妻は6年前に脳腫瘍を発症しました。

手術の際、グレード4でした。

「平均的な生命予後は3ヶ月から5年であり、2年生存率は30%以下、5年生存率は10%以下とされています。」(*)

(*)出典:大阪公立大学大学院医学研究科・医学部附属病院脳神経外科学グリオーマチーム

奇跡

手術後7年近く経ちますが再発もなく元気に過ごしています。

発症時に左半身が完全に麻痺して動かなかったのが、リハビリで歩行や車の運転もできるようになりました。

主治医曰く「めったに経験がない」ほどの良好な治療成績とのことです。

後遺症のリスク

手術・抗がん剤・放射線治療は成功しました。

しかし、治療の後遺症が時間差で発現するというリスクが一生つきまといます。

後遺症が少しずつ顕在化しています。

今年から歩行には杖が必要になり、障害者認定も受けました。

認知症、感染症のリスクも生涯続きます。

一方、本人はとても元気です。

わたしの心配

病気になりたくてなりたい人はいません。

妻の病もそうですし、わたしのうつ病もそうです。

妻は障害は残っていますが、話すこともできるし、歩くこともできます、車の運転すらできます。

ほかに何を求めるというのでしょうか?

「元気に生きてくれている」

それだけでいいはずです。

でも、わたしは妻の更なる障害の回復を過度に望み、勝手に悩み苦しみました。

愚か、とまでは言えなくても、もっと元気に、もっと元気になってほしい、というわたしの先走った勝手な願望が原因でした。

そもそも、妻に対して余計なお世話です。

後述しますが本人は努力しているからです。

先のことは誰もわからない

妻の後遺症は少しずつ進行していています。

でも、これから先も進行していくのでしょうか?

それは誰もわかりません。

確証は無いのです。

確証の無いことに何で悩む必要があるのでしょうか?

「認知行動療法」の考え方

わたしがマイナスだと思って苦しんでいたことが、事実を冷静に分析することで、実はそれほどでもなかった、あるいは虚構だった、ということに気づきこころが軽くなる、その手法を認知行動療法といいます。

それをいつの間にか実践できているようになってきました。

本人の意志

確かに妻本人のリハビリが必ずしもうまくいっているとはいえません。

アルバイトもチャレンジしたことありますが、勤務中に刺傷を負ったり、帰路転倒して怪我したりして長くは続きませんでした。

プロのインストラクターにリハビリを習ったこともありました。

妻は最初は頑張るのですが、頑張り過ぎて怪我をする、そしてふさぎ込んで何もしなくなる、動かないと筋力や平衡感覚が落ちる・・・

この繰り返しで体力、歩行能は徐々に落ちていきました。

そこで今これまでの見直しから「できる範囲で」「毎日に続けられる」ウォーキングを継続するようになっています。

本人は努力しています。

紛れもない事実です。

努力している限り未来は明るいはずなのですが、なぜかわたしは「これ以上後遺症が進んだらどうしよう・・・」と勝手に悩んでいました。

現状と逆のことを考え「架空の悩み」を作り出していたに過ぎなかったことに気づきました。

生きていてくれてありがとう。

本当にありがとう。

他に何も要らない。

本人の課題

冷たい言い方かもしれませんが、妻のリハビリテーションは「本人の課題」であって、わたしや息子の課題ではないのです。

アルフレッド・アドラーの「課題の分離」の理論です。

一方、よい選択をしてほしいという期待を伝えることはできます。

そして選択肢と予想される結果を示すことはできます。

  • リハビリテーションを継続する →もっとしっかり歩けるようになる。家族で旅行に行けるようになる。楽しい思い出をつくることができる。
  • リハビリテーションを諦める →早晩寝たきりになる。ウチは3人家族なので面倒みきれない。将来爆発的に老人が増えるので施設にすら入れないかもしれない。不幸な老後になる・・

アドラーの理論では選択の自由は本人にしかありません。

そして選択の結果は本人が責任を負います。

自己決定権

嫁さまは頑固な性格です。

実家の家族、わたしたち家族の言うことはほとんど聞きません。

他人の干渉を嫌います。

でも、人として自然な感情です。

尊厳の顕れです。

どのような未来を選択するかは本人が決めます。

本人は当然もっと歩けるようになりたい、介助なく交通機関も一人で利用できるようになりたい、買い物も一人でいきたいところにいけるようになりたい、と思っています。

自分自身と家族にとって最適な選択をしたいはずです。

ならば、わたしが悩む道理はありません。

アドラー心理学の理論では、

妻から「もっと何とかしたいけど、どうすればいい?」と支援を求めてきたときに何らかの援助をすればいいのです。

「心配」ではなく「信頼」が正しい

どうやったら、妻の身体がもっと元気になるか、悩みは尽きませんでした。

でもそれは、わたしが作り出した「架空」の悩みだと気づきました

妻を心配するのではなく、信頼すればいいのです。

うつが癒えてくると、妻への感謝の気持ちが生まれてきました。

感謝の気持ちが生まれると、妻の将来への不安は薄らいでいきました。

他に何かできることがあるでしょうか?

妻を見守ることです。

寄り添うことです。

わたしがうつ状態のときにそうしてもらったように。

そして祈ることです。

家族が幸福になることを。

コメント

タイトルとURLをコピーしました