アドラー心理学との出会い
うつで苦しんでいたわたしは、ある心理学者の学説に出会いました。
そのお蔭でわたしの自殺念慮は消えました。
100年以上前のオーストリアの心理学者で精神科医でもあったアルフレッド=アドラーです。
休職が半年ほど経った4月のある日、少しだけ本でも読んでみようという気になりました。
わたしのうつ病の場合、陽の光が短い季節はこころが晴れない日が多いです。春夏は和らぎ、秋冬はよくない、こんな感じです。
うつがひどいときは集中力が無く、本などはとても読む気になれない人は多いそうです。わたしもその一人でした。
誰でも存在しているだけで誰かに貢献している
アドラーは「人は誰でも存在しているだけで誰かに貢献している」ということを提唱していたそうです。
最初知ったとき、これは宗教であって心理学ではない、と思いました。ところが、心理学的に確立している理論でもはやcommon senseだそうです。
当時、家の中で籠りっきりのわたしが「誰かの役に立っている」だと??そんなわけないだろ・・・と思いました。ところがあるとき、妻の一言がそれを肯定してくれました。
ある日、冬に寝室に設置しておいた加湿器を、春になったので片付けることにしました。左半身に麻痺の残る嫁さまに戸棚に重いものを仕舞う力はありません。わたしが戸棚の上の段に仕舞いました。すると嫁さまは、
「ありがとう」と言ってくれました。
その瞬間わたしのこころの中で何かが鳴動しました。そうか、今、わたしは妻の役にたったのだ、貢献できたのだ、と思いました。こころが少しだけ晴れるのがわかりました。
それから数日して、何と自分から外に出てみたい、と思う様になりました。最初は家の近くを散歩しました。陽の光がこころに温かく感じました。散歩の機会はやがて増えていきました。
道端に捨てられているペットボトルを拾ったりしました。この行為も誰か(世間)の役に立っている、そう思うようになりました。
生きているだけで誰かの役にたっているなら死ぬ必要はない。
わたしは生きる価値がある存在だと思えるようになりました。
アドラーと妻に命を救われました。
誰にも気づかれなくていい、それでいい!
アドラーによると、他者への貢献は相手に気づかれなくていい、ただ本人が貢献した、と気持ちをもつことが大切だとのこと。だれにも気づかれなくていい・・・
こんなわたしでも誰かに貢献している、役に立っていると自覚できるようになりました。
後から知ったのですが、古の日本でも同じようなことを言っていた人がいることを知りました。
天台宗の開祖の最澄です。誰にも気づかれない貢献を続けること、これを「陰徳を積む」といい、人は小さな貢献を積むことで自己の存在を肯定できる、そんな意味だったと思います。
つまり、アドラーにしろ、最澄にしろ1000年以上前に確立していた、自己肯定感を育む基礎なのだと思いました。つまり幸せの土台はこうしてできるのでしょう。
貢献する。貢献を受ける
わたしは、妻に支えられうつが少しづつ回復していきました。妻は身体に障害を持ちながらもわたしに貢献してくれいて、子の面倒をみることで、息子にも貢献している・・・嫁さまへの感謝と存在大きさに感じ入るばかり。
その後、わたしの外出はさらに遠くへ行くことが多くなりました。
車で20分ほど走ると、海釣り公園があります。南北に伸びる堤防に眼前には大海原と水平線、上を見ると大空。その後ここへは数えきれないほど通いました。
そこでさまざまな「貢献」を目にしました。
じいじが孫に釣りを教えている。笑顔で散歩している老夫婦。
捨てられている釣り具を回収する人。
児童養護施設の子供たちが先生と釣りに興じる、小魚が連れだただけで歓声が上がる。
子連れの母子が海を子に視せにくる、海の広さに興奮する小さな子供。
防波堤をウロウロしては、頼まれもしないのに釣り指南をして回る老人(笑)。
わたしもいつしか戸棚の奥にあった古い釣り竿で釣りをはじめました。
あるとき、若い2人の女性が(保険会社の人でした)、仕事の休憩時間に海を見にきていました。無邪気に雄大な景色を喜んでいました。わたしにも話しかけてきました。
笑顔で「何が釣れるんですか?」しばし会話したあと、「実は、ぼくはうつ病の療養でここに通っているんです」「そうですか!きっとよくなりますよ!」弾ける笑顔で言ってくれました。
貢献する、貢献を受ける、世の中はこういうシステムで成り立っているんだ・・・
うつの猛威は翳りはじめた
朝散歩するようにもなりました。やはり朝日はこころに良いと感じはじめました。
その時間帯は高校生の自転車登校の列と一緒になります。
わたしは歩道の左端をまっすぐ歩いて決して右に飛び出さないように歩きます。不意に飛び出すと自転車の追突を受けるのは必至です。それほど多くの車列です。
最初は「事故に遭わぬように気を付けよう」と思っていました。ところがある日、こころの声が聞こえてきました。
『寄り添ってるよ、見守ってるよ!』
自転車の高校生たちはパワーあふれる世代です。始業に遅れまいとするスピード。誰もわたしにそんな感情を向けてくれる訳がありません。
でも、わたしの横を通り過ぎる彼らの有り余る元気と多感の余韻が、わたしにはそう感じるのです(思い込みです)。あの危ない歩道でなぜ日々散歩を続けるのか・・・それは彼らから勇気づけてもらうこと。
彼らは自転車でそこを通るだけわたしを勇気づけるという貢献をしてくれていたのです。そう、みんな存在しているだけで、誰かに貢献している、誰かから貢献を受けている・・・
きっと「貢献」とはみんな本人の気づいていないところで、いつの間にか行われているのです。
わたしは高校生の車列のみんなにこころの中でいつもこう返します。
「みんな、ありがとう!」
実はうつ病で休職する少し前から遺書のつもりで、数日おきに日記を書いていました。今年の6月になってふと気づきました。
半年以上「死にたい」と日々万年筆で書いていた紙面から、この文言がいつの間にか途絶していたことを。
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