わたし一人ではうつ病は回復できなかった
うつ病は孤独な病気かもしれせん。
でも、支えになってくれる人が少なからずいるのも事実です。
うつ病のわたしを支えてくれた人たちには共通点があります。
わたしを支えてくれた人の共通点
- とにかく話を聞いてくれる
- 肯定も否定もしない
- 評価も感想もない
- わたしのこころを受け入れてくれているという実感がある
- 何らかの悩みをもっている=優しさがある
うつ病は時の経過と共に軽快していく特徴があるのも事実です。
でも、最大の助けは薬ではなく支えてくれる人の存在ではないでしょうか。
わたしの場合をお話します。
家族
(人によると思いますが)家族のうつ病に対する理解と支えがとても大切だと思います。
うつ病治療に適した生活空間を作ってくれるからです。
わたしの妻子の場合、
うつ病のことには言葉では触れず、そっとしておいてくれました。
わたしは家事もろくにせず(できず)、食事もそこそこでも、何も言わず静かな環境をつくってくれました。
わたしにとっては最大の支えです。
高校の友人
わたしは転勤族なので、現在住んでいる近隣には親しい友人はいません。
しかし、遠くにいる友人程支えになりました。
休職から9か月ほど経った頃、久しぶりに1日だけ地元に戻りました。
夏で日照時間も長いころです。
気分もあるていど回復して電車に乗って遠くへいきたい、車窓が見たいと思う様になったからです。
視界に入ってくる緑の田園、山々、心が落ち着くのがわかりました。
数名の高校の友人たちとの集まりに参加しました。
そして、わたしがうつ病であること、休職中であることを打ち明けました。
彼らは、ひたすらわたしの話を聞いてくれました。
意外にも、集まった仲間にもうつ病を経験したことのある人、休職歴のある人も複数いたのには驚きました。
聞いてくれるだけで意見も評価も励ましもありません。
(→それが、うつ病にはよくないことを知ってくれていたからです)。
ひたすら、受容・共感してくれました。
「一人じゃない、みんな寄り添ってるよ」そう言ってくれました。
とても大きな勇気づけになりました。お蔭で回復しはじめていたわたしのうつ病を追い払う強力な特効薬になった再会でした。
小学校の友人
LINEで話しました。数十年ぶりの声だけの再会でした。
わたしが休職すぐの病状が一番悪いころ、地元で旧友たちの集まりのお誘いがありました。
でもわたしはうつ病で行けませんでした。内心行きたいのに、怖くて行けなかったのです。
その旧友とLINEで話ができたのは、やはり休職して10か月くらいたったころでしょうか。
ようやくリワークプログラム通所をはじめていたことでした。
うつ病の回復が少しづつ進んでいるという実感がわいてきたとき、ふと、彼らのことを思い出しました。その中の一人に思い切って連絡しました。
あまりにご無沙汰だったので、最初は何の事だろうと!?と少々驚いていた様子でした。
わたしがうつ病であること、1年近く休職していること、こころが辛い状況であることなど、話しました。
長い時間話しました。
彼はひたすら話を聞いてくれました。とにかく受容してくれました。
彼は最後にこう言ってくれました。
「困っときは幼馴染みをつかえよ!全然遠慮せんでいいよ!」
嬉しくて涙が出ました・・・救われました。
彼の言葉は生涯忘れることはないでしょう。
幼馴染みへのこころ、格別の感情が湧きました。
時も距離も離れても、瞬時に寄り添ってくれる。
わたしにとって大きな支えです。
主治医
患者の味方であることは間違いありません。
ただ、15分程度の診察では思いのたけは話す余裕がありません。
しかし、日常の睡眠、食事、気分の落ち込みの状況、生活のTOPIXを話すだけで察しはつくようです。
実は復職の診断書を書いてくれたときは「もう、復職もいけそうですね」と言ってくれたのを覚えています。
職場の同僚
職場に一人は休職中に話をできる人がいました。
その方もご子息のことで家庭に問題を抱えており、境遇は違えどわたしの辛さを理解してくれました。
休職中の会社の状況も教えてくれたので助かりました。
「無理しなくていいですよ。のんびり2年くらい休んだらどうですか?」
と言ってくれたのはわたしにとってはなぜか勇気づけになりました。
わたしの性格をある程度知ってくれていたからだと思います。
両親
二人とも要介護認定者でとても話が通じる状態ではないので話していません。
きょうだい
わたしには二人の姉と一人の兄がいます。
長姉にだけうつ病で苦しんでいることを打ち明けました。
幼いころからしっかりしていて、秘密を守ってくれるという安心感があったからです。
わたしの話をとにかく聞いてくれました。姉からは、社会人になった姉の子、つまりわたしの姪や甥も仕事のことで直面している悩みがある、そのことを話してくれました。
お互い事実だけ話す。
うつ病のわたしにも、かわいい甥姪の苦労の察しがつきました。
そして、姉の心配も察しがつく・・・
何だか、こころを共有できたのを覚えました。
リワークプログラム通所の人
いわば、うつ病からの脱出を図っている同志です。
みんなそれぞれ抱える背景が違うので、それとなくお互いがうつ病になった経緯、これからのこと、など語り合いました。
みんな色々なことがあったんだな・・・それぞれ固有の理由でここに通所してるんだ・・・。
不思議な空間でした。
とても落ち着いて自分自身を見つめなおすことのできる空間でした。
わたしが通所していたときは20代~50代幅広い世代の人がいました。
一人じゃない、と思えるだけで心強く思いました。
完全な第三者
うつ病が軽快しはじめて、一人で居酒屋へいったことがあります。
そこの大将はまるっきり知らない人です。
カウンター越しにわたしがうつ病で休職中であることを話しました。
大将は「人生なんてテキトーに生きりゃいんだよ、今が楽しけりゃいいんだよ、いつ死ぬかわからないし」とだけ言ってくれました。
妙に腹落ちしました。
もはやわたしを支えてくれる人は無限にいるのではないか、、そう思わせてくれた瞬間でした。
まさに、アルフレッド=アドラーのいう「すべての人は存在しているだけで誰かに貢献している」
誰かに話すタイミング
うつ状態の最悪の時期、底辺の頃は会話すら辛くてできません。
やはり、休職した場合、時と共にうつ状態がある程度回復してきた頃、だと思います。
少しは外に出てみようか、とか、本でも読んでみようか、と思える時期と重なる気がします。
その頃になると「誰に話せば、わかってくれるだろうか?」という判断力も幾分回復していると思います。
・・・みんな今年真にお世話になった人たち、勇気づけてくれた人たちです。
ありがとうございました。こころより。
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