少しづつなれていくこと
昨年11月下旬からリハビリ出勤が始まりました。
わたしの勤務先の場合、2週間おきに4時間→6時間→8時間→そして、産業医・人事部の判断で正式復職 という約1か月半(最長3か月)の観察期間とする、という規定があります。
世間的には手厚いほうの制度かもしれません。
その間にストレスに対する対処ができているか、周囲とのコミュニケーションは円滑にできているか、軽作業でもタスクは順調にこなせているか、そして何よりもわたしの心理面が安定しているか、などを見ている様です。
順調にいけば、年明け1月下旬に正式に復職・・・という流れです。
リハビリ出勤開始から3週間(土日除く)経ちました。生活記録表も毎日つけています。
最初の1~2週は正直疲れがすぐたまりました。
勤務中は緊張感がほどよくあるせいか、帰宅後ぐったりします・・・。
確かにうつ病でないときでもそうだったので、そんなもんか・・と思っています。
原職は外回りの外勤です。
でもリハビリ出勤中は内勤中心、社用車の使用も不可です。
さらに、休職中にわたしの担当エリアに穴を開けないように「1年契約」の契約社員を雇っています。
つまり、今年度はわたしの「仕事場」が無いと言えます。
よって、年度末までは自発的に仕事を作ること、これがタスクかなと思っています。
業種柄、製品知識・周辺知識がかなり必要な業界なのでそこは疎かにできません。
現状は休職中1年の間に入ってきた最新情報をつぶさに学習することからやっています。
わたしの業界は外回りのためには民間資格が必要です。
この1年の間に資格が停止になっていました・・・。
免許更新には復職者用のプログラムを受ける必要があります。
これで1か月はあっという間に経つだろう、という感じです。
がんばらないことをがんばる
さて、それはさておき、わたしのこころの状態は?というと、気を付けていることがあります。
それは、「がんばらないことをがんばる」ということです!
同僚はどう思っているかわかりませんが、わたしはこうしないと社会?会社?ではもう生きていけないのはわかっています。
いまゆる~く心がけていることは↓
- 「がんばらない」ことをがんばる
- ストレスサインが出たらすぐ休憩する
- 周囲の人を気にしない(1年休んだら開き直るだけ)
- 必要な相談相手を決めておく
- 上司や同僚にアサーティブに接する
- わたしは必要な人と思う
- わたしは人の心の痛みや辛さを察することができる
- 仕事は1年やってないので、できないのは当たり前。少しづつ回復させる
- もう今までと同じやり方で仕事はできない。新たなわたしをつくる!
といったところでしょうか。
意気込みはありません。
ならし勤務だからなれる、それだけでいいのですよ~
過去とと他人は変えられない。自分と未来は変えられる!
職場はいろいろな人がいます。
ただでさえ人手不足、主力社員の平均年齢も加速度的に上がっています。
もう、上長先輩後輩の肩書の意味はとうの昔に消失しています。
みんなで協力して仕事をしないといけません。
わたしは干渉されることが大嫌いです。
干渉してくる人がいればうまーく受け流して相手を穏やかに遠ざけます。
軋轢は無用な感情が生まれます。
わたしを嫌う人はいます。
わたしも嫌いな人がいます。
大切なことは、誰が誰を嫌うか、好きになるかは各々の自由意思でありそれを他人が変えようとすること、干渉することはできません。
だから、人と人とはそれぞれ丁度いい距離感が要るのだと思います。
様々な人がいます。みんなとの関係は最低限のストレスで共存する、
これがこれからのわたしの人生のテーマになっていくと思います ( ̄ー ̄)
みんなはわたしのために生きていない。わたしも他人のために生きていない
過度に上司の期待に応えようとするとわたしのようにうつ病になる人もいます。
成果を出さない部下に冷淡な態度をとる、叱責する、恨み事すら部下にぶつける人もいます。
この状態は人生を自分のためではなく上司のために生きていることになります。
わたしたちは自分や家族の幸福のために仕事をしているはずです。
利己を超えて、各々が自分が一番大切なことは当たり前です。
みんな他人のために生きているわけではありません。
ならば自由に生きよう、それだけです。
中年後半になって初めて気づきました。
しかし、人は一人では生きていけません。
「思いやり」が要るのです。
お互いができる範囲で助け合うこと、それが大切だと思うのです。
しかし、やり過ぎはいけません。
でも、手助けはできないけど他人の幸福を祈ることはできます。
それでいいのです。
案外、支えてくれる人はいる
うつ病が時と共に回復に入ってきたころ、リワークプログラムに3か月間通所しました。
いろいろな悩みの中で押しつぶされそこにきていました。
このあたりの体験は改めてお話しようと思います。
嫁さまはじめ幾人かの人はわたしを支えてくれました。
ここに通所した仲間もお互い支え合いました。
案外、支えてくれる人はいるものです。
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