ならし勤務3週間経過したが・・・問題が・・・

さて、今から正式復職に向けて困った問題が出てきました。
復職しても、担当業務が年度末まで無い!?状態になるからです。
どういうことかというと、1年以上の休職中にわたしの穴を埋めるために契約社員を雇っているからです。
仕事が無い!リハビリ出勤もあと3週間。
スケジュール通りなら来週から8時間勤務になり、来年元旦にならし勤務終了ということになります。
しかし、来年1月下旬の産業医面談で復職可否決めるというので、リハビリ出勤は予定の6週間からさらに延びて合計8週間実施することになります。
さて仕事の無くなったわたしの処遇について当然上長は考えているはず!?ですが、まだ明確な指示はまだありません。
メンタルならし勤務者のこころに先行き不透明という不安を与えているという不都合な現実。
ともあれ、わたしの心境はどうにでもなれぇ~なので落ち着いたものです(服薬を少し増やしたからかもしれませんが・・)。
今日も朝から本社の担当者とWEB面談したところ、PCでやる復職プログラムはすでにおわったとのこと。
担当先が無いので外勤もできない・・ならば自分で仕事を作るしかない。奇妙な会社だ・・
無能感とさびしさ・・・
ならし勤務4週目にしてはじめて、さびしさを感じました。
休職中の1年間の仕事の遅れ、取り戻す気力の弱さ、焦りというよりさびしさを覚えました。
しかたないよ・・・それを受け入れることにしたのでは!?自問自答しました。
みんな程よく忙しくしています。
わたしだけが取り残されているような気がするのです。
ならし勤務のときは多くの人が経験するのかもしれません。
フロアの隅のスペースにPCをつないで今日のタスクをやりました。
でも、とてもタスクとは呼べない簡単な仕事。資料の発注、資料室の整理、要らない書類の廃棄、上司へのメール・・・
困ったのが取り扱い製品のプレゼン用のスライドや紹介トークのひな型を読んだのですが、まるで頭に入ってこない。
やはりまだ集中力が戻っていない・・・ 他のスタッフのスケジュールをみるとプレゼンをコンスタントに入れています。
でも、かつてわたしがやっていたよりもみんな回数が少ない。
みんなの週報を閲覧、がんばってるんだ、みんな・・・ いまのわたしには見てはいけないものを見てしまったのだろうか・・・ ため息もでず、ただ落ち込みました。
ならし勤務とはいえ、うつが回復してきているとはいえ、波があるのはわかるのですが・・・とりあえず、毎日飲む薬に加えて、夕方、頓服で処方されたこころを安らかにする薬を飲みました。
なんでうつになってしまったんだろ・・・

長い苦しい道のりの果てにブラックホールに落ちた・・・
すべての問題は対人関係にある、アルフレッド=アドラーの言葉です。
ほんと、そう思います。
18年前転職したきっかけも上司の苛烈なパワハラから逃れるため。
そのときは不幸からの脱走に成功しました。
今回は「冷たい人」に突き落とされてうつになりました。
人とは弱いもの。
今回は逃げる勇気は選べなかった・・・
家族をもつと思い切ったフットワークが利かなくなる。
でも、わたしのうつの原因は環境よりも本人の心に内在している感じです。
ひとは仕事と家庭の幸せ度のバランスでこころの健康を保っているのだと思います。
それが、今回は崩れました。仕事があまりにもうまくいかなくなったから。
あっけなくknockout!!
受容してくれる人のありがたさ
デスクワークでのタスクが4週間弱で終わり、次のタスクがない状態に・・・フル勤務でのならし勤務があと4週間も続きます。人は何か役割がないと動けません。
なので残り期間は自分で仕事や課題を創出しないといけません。なかなか辛い局面です。
じつは、一昨日からこころが重くなってきました。2日続けてデイリーの薬に加えて頓服薬プラスしています。
今朝、旧知の他の部署の先輩が営業所に来てました。その方もわたしがうつ病休職→ならし勤務になったことを知ってました。
久しぶりの再会だったので始業前に少し会話しました。
その方は8年ほど前に奥様を白血病で亡くされています。
当時お嬢さんは中学生でした。
数年治療を試したそうてすが奏功せず、骨髄移植も受けられたそうです。
しかし、再発、有効な治療法が無くなりいよいよ終末期の施設に入られました。
そこは院長が医者でありながらプロテスタントの牧師で理想的な看取りを追求する施設だそうです。
奥様が安らかに旅立たれたとき、先輩もお嬢さんもその場に間に合わなかったそうです。
わたしの妻とわたしの家族

その話を聞き、わたしの嫁さまの姿を重ね合わせました。
6年前に脳腫瘍に侵されまた。
幸い手術は成功。
しかし、再発率の高い腫瘍・・・5年後生存率8~16%、10年後生存率0%といわれています。
彼女は6年腫瘍は再発していません。
わたしは嫁さまの生涯、脳腫瘍は再発しないと信じています。
そして「今、ここ」今日を大切に楽しく家族で暮らすつもりです。
そのためにできることは何でもやりたい、そんな心境です。
期せずして、先輩から奥様の最期の話を聞かされたとき、家族の健康、生死に直面したとき、わたしは冷静に居たいと思いました。
わたしは、嫁さまの病と仕事のストレスに抗い押し潰されうつ病になりました。
一方、その先輩は気丈に今に至っています。
お話ぶりも穏やかでした。
先輩は恐らく、当時も今も全てをありのまま素直に受け止めているのだと思います。
ありのままを受け入れる、「今、ここ」を大切にする。
わたしはもっとわたしを認めてあげていいのだ、そう思います。
うつとの隠れんぼはずっと続きます。
わたしがありのままのわたしを受け入れ、不安を素直に受け入れ続ける限り、うつは隠れたままでしょう。
先輩とは偶然の再会でした。
今後のわたしに大きな気づきを与えてくれました。
今日の巡り合わせを神さまに感謝します。
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