川崎病
毎年クリスマス付近はわが家にとって大切なルーティンがあります。
わが子の年一回の小児科受診です。理由は川崎病の後遺症発現の有無を確認するためです。
息子は4歳のとき、ちょうど三連休だったので息子だけ嫁さまの実家に預けました。
妻は脳腫瘍の手術の退院後、抗がん剤治療を始めました。
とても身体に負担がかかります。
疲れている嫁さまに、しばしの間、息子の面倒見から解放してもらおうと思ったのです。
ところが、その翌々日、ご実家から連絡があって息子を急患センターに連れていったら、即入院になったというのです。
慌てて妻と車で一時間かかってご実家近くの県立病院に行きました。
川崎病でした。
40℃の高熱、唇は紫色のぶつぶつができ、舌はイチゴのような感じ、歩行困難の強い脚の痛み、かわいそうに意識は朦朧としてました。
「お父さんだよ。わかるかい?もう、大丈夫だよ」と呼びかけました。
息子はわずかに頷くことができました。
主治医からすぐに免疫ブログリン製剤による治療が必要だといわれました。
投薬の効果とリスクの説明を受け「すぐ始めて下さい!」と言ったことを覚えています。
川崎病の急性期に命を落とすことは近年は極めて少なくなっているそうです。
一番の心配ごとは心臓に冠動脈瘤というコブが後遺症として残ることがあるということです。
そうなると、生涯に渡って心臓疾患になる可能性があります。
幸い息子はこのコブは発現しませんでしたが、現在でも原因の分かっていない疾患で、病後の定期検診が重要になります。
18歳まで年一回の検診が続くそうです。
そのときまで心臓に異状がなければ、恐らくその後も大丈夫だろう、という判断のようです。
妻の実家の両親や妻の妹さんとわたしが交代で一週間ほど病室に泊まり込みました。
このときのこと義父母、妹さんに感謝しています。
息子はその後元気になって、スイミングに通ったり、サッカークラブにも入ったりして、友達に囲まれて楽しく過ごしています。
人生いろいろなことがあります。
これからもあるでしょう、嫌というほど・・・
来春はもう小学5年生、お母さんのお手伝いもするようになりました(たまーに、ですが)。
息子のわたしへの配慮
息子もわたしがうつ病で仕事を長期に休んでいたことは当然わかっています。
妻からは「お父さんは体調を壊してしばらく会社休むのよ」とだけ言っていました。
ある日「お父さん・・・うつ病なの?」と聞かれました。
どうやら、友人とLINE通話でうつ病の相談をしているところを聞かれたようです。
「お父さん、お友達とうつ病のお話をしていただけだよ。いまうつ病の人多いから」とだけ答えました。
わたたしがうつ病か否かは答えませんでした。
息子も察しはついのか、それ以来何も言いませんでした。
妻と同様、そっとしておいてくれたのです。
息子のわたしへの心遣いだったのだと思っています。
リワークプログラムや図書館に通うようになり、朝、息子に「お父さんは短時間の仕事に行ってくるからね」と言って「疑似出勤」がはじまってからは、息子も安心したようです。
わたしが息子に対して本当心配していたのは、うつ病が回復せず自宅休養が長引くことです。
さすがに休職1年超えると、彼もわたしに対して心配を深める、あるいは違う感情が発現するかもしれない、それが何かはわかりませんが、息子のこころにも影響が出てしまうのでは??と感じていました。
会社からは休職は2年間認められています。
でもわたしは1年が限界と思っていました。
この様に考えること自体「焦り」でうつの療養にはよくありません。
でも、リワークプログラム通所、ストレス対処、認知行動療法などで自然な形でならし勤務が開始できたことは幸いでした。
うつ病はだれが治すの?
主治医、友人、知人、書籍、ネット、リワークプログラム・・・いろいろあります。
でも一番の治療者はうつ病者本人だと思います。
そして家族の寄り添い、見守り。
わたしはアドラー心理学との出会いや、家族のお蔭でうつが回復しつつあります。
治療環境に恵まれない多くのうつ病患者の中でわたしは幸せなほうだと思います。
早く冬至を過ぎてほしい!
わたしのうつはどうも季節性の要因もあるような気がします。
冬至が過ぎ、昼が少しづつ長くなると思えればそれだけでこころが和らぎます。
今年は冬至のあとがクリスマスです。
わたしにとっては今年のクリスマスは「うつ軽減祭り」みたいなものです
(→夏至まで続ける!?)。
クリスマスツリーは観ているだけでこころが和みます。
わが家は11月から居間に設置しました。
電飾、サンタ、プレゼントの小箱、トナカイ、他にも色々なグッズを飾り付けています。
飾りの数だけ運が舞い込む気がするので。 ↓ウチのツリー
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