梅雨を迎えて

その先へ

雨の日の気分

子供のころから雨の日はそんなに気分は落ち込みません。

傘を差すという煩わしさ以外は。

「雨が様々なこころの滓を洗い流してくれる」とさえ思います。

雨音はこころによい影響を与えrelaxできるからかもしれません。

とくに夜の雨音は好きです。

よく眠れます。

あるいはPositive thinkingの顕れかも知れません。

雨音の徒然に

なぜうつ状態に陥ったのだろう・・・

客観的に捉えられるこころの状態なら、この問いへの回答を考えてもよい思います。

しかし、過去を振り返ることで、後悔するならそれは無駄な時間です。

最も大切なのは「今、ここ」を丁寧に生きること。

わたしのために生きること。

さて「これから」をどうするか。

全てを自然にありのまま受け入れることができるようになったとき、雨の後はこころに晴天が広がることでしょう。

環境の影響

こころは家庭や仕事の環境から影響を受けます。

一見これは仕方の無いことの様に思えます。

不安、面倒くさい、嫌だ、先が見えない・・・様々な環境要因がこころに閉塞感を与えます。

アルフレッド・アドラーは「感情」とは「何か」をしない、そこから逃げる、ための口実として湧いてくるに過ぎないとしています。

つまり、何かをする、しない、という目的を達するために感情という「手段」を持ち出していると。

ならば、わたしは「仕事をしない(したくない)、家庭の未来を考えることをしない(したくない)ために、うつ状態を作り出した」ということになります。

最初はなかなか容認しがたかった理論ですが、今考えるとわかる気がします。

自己肯定感の拠り所を誤っていた

休職前まで「仕事=他者の評価」であると固く信じていました。

しかし、評価者への過度の忖度で、やがて「わたし」の存在がわたしの中から消えていきました。

評価者はわたしを「評価者自身の評価をあげる手段」と捉え、極めて困難な事案を次々と押し付けてきました。

ひとつひとつ何の支援もない中で解決してきました。

結果に労いの一言もありませんでした。

わたしのこころは疲弊する一方。

経験しないとわからなかった

次第に違和感がこころの中に広がっていきました。

「それは違うだろ」という脳の防衛反応です。

もっとわたしが「わたし」を大切にしなさい、というサインでした。

当時はそのサインの意味が明確にわかりませんでした。

そして必然的に「仕事をしない(したくない)ために、うつ状態を作り出した」のです。

そもそも人は誰のために生きているのでしょうか?

今思えば休職は正解でした。

このシンプルな問いにようやく素直に答えることができるようになっています。

わたし自身のために生きているはずです。

休職を選択したことで、わたしは最後の最後に自身のこころを守ることができました。

選択は正しかった

休職から1年8か月、復職から5か月です。

わたしにとって何が大切なのかようやくわかり始めています。

それはこころの持ち様にもよい影響が出てきました。

家族と過ごす時間や趣味の時間をもっと大切にしたいと思うようになってきました。

復職5か月目

やはり雨はいいですね。

梅雨は特にいい。

夥しい水滴がこころを浄化してくれます。

腰痛になやまされています

もともと腰痛持ちなのですが、ここ3か月ほど朝の腰痛がひどくなってきました。

日中活動していくうちに腰痛は和らぎますが、完全に治りません。

ストレスサインなのか寝すぎで腰がいたくなるのか判然としません。

ここ数週間、オーバーワークになっています。

ブレーキが要ります。

疲れて週末の寝すぎにつながっていることが原因かもしれません。

新たなストサッサーにならない様に解決していくつもりです。

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