わたしがうつから回復しつつあることは、嫁さまのお蔭と言っても過言ではありません。
うつは環境要因もさることながら、患者本人の心に巣食う悪魔との闘争かもしれません。
嫁さまは、ひたすらわたしをそっと見守ってくれました。
嫁さまは6年前脳腫瘍を患いました。
手術は成功したものの、左半身に少し障害が残りました。
手足は動くのですが思う様に動かすことができず、左手脚を使った作業は少しずつしかできません。
退院後、わたしが家事を手伝うことが多くなっています。
もともと掃除したり、料理したりするのは嫌いではないので、ごく自然に彼女のサポートをしています。
思いやりのある女性で一度会ったは人はみんな彼女のことを気に入ります。
(ダンナとは大違いの性格です( ̄ー ̄;)
わたしは休職の2年程前から徐々にうつ病が悪化していき、昨年の4月以降から一層悪化、7月以降夜は不眠が常態化し、10月に受診したとき主治医から「もう、十分がんばった。休もう」と言われ涙を流しながら、休職届を書いてもらいました。
その夜、嫁さまにそのことを話しました。
彼女は優しい笑顔を湛えながら「いいじゃない。ゆっくり休んで。
病気なんだから、お互いさまでしょ」と言ってくれました。
この女性と結婚して心底よかった、救われた、幸福だと思いました。
出会いは19年前に遡ります。
当時勤めていた同僚でわたしより3歳年上です。
2年程お付き合いして結婚しました。
世話好きで明るくて、優しい女性です。
脳腫瘍の手術で右の前頭葉の一部を摘出したせいか、最近は穏やかな性格に変わりました。
わたしのことはよく忘れるようになり、一方子供のことはよく覚えてます( ;∀;)
さて、うつの治療のためわたしは、薬は6種類も飲むことになり、( ;∀;)気力もなく布団から出れない日々が続きました。
それでもわたしには何も言いません。
家事を手伝ってあげる気力もあまりなくなってきたのに、嫌な顔ひとつしませんでした。
嫁さまが脳腫瘍になったとき他県に住んでました。
一人息子はまだ2歳。到底仕事と家庭を両立できない状態でした。
どうしようもなく、嫁さまの実家のある県で手術と療養をすることにしました。
子供も一緒に実家に引き取ってもらい、わたしはしばらく一人暮らしで仕事をしました。
その年の秋に会社に願い出て嫁さまの実家に近い営業拠点に転勤しました。
バリアフリーのマンションを借りてくらしています。
嫁さまは、うつ病の回復には乳製品がよい、と聞いたらしく、チーズの燻製を何度も作ってくれました。
わたしの病状やわたしが家族に迷惑をかけていることも一切意に介していませんでした。
1年間本当にそっとしておいてくれたのです。
わたしのうつ状態がもっともひどいときは部屋に一日中閉じ籠って、スマホで自殺サイトばかり見てました。どうやったら確実に死ねるか・・・それしか考えていませんでした。
しかし、うつ病が最悪のときは「死ぬ」行為すら億劫です。
幸い最悪の行動はできませんでした。
そのうち、わたしの様子を見て、たまにうつ状態が少しだけ和らぐ日があることに気づいたようです。
その日を見計らって「買い物でもいこうか」と言ってくれました。
「今日は調子よさそうね」などとはあえて言いません。
自然な流れでわたしを陽の光、外の空気を吸える様に誘ってくれました(今思えばそう感じます)。
うつ病の家族への接し方についてわたしの知らないうちに学んでくれていたようです。
嫁さまのわたしへの思いやりがなければ、今頃わたしはこの世にいないと思います。
世間では「うつ病離婚」なることもあると聞きます。
わたしは運がよかったのかもしれません。
いま嫁さまには感謝しかありません。
一方、嫁さまの左手脚、とくに脚は動きが少しづつ悪化してきてついに障害者認定を受けました。
気が付くと最近はわたしが少しづつ嫁さまを外に連れ出し、散歩や歩行訓練をいっしょにやるようになりました。
うつ病で受診しても主治医は15分ていどで、食事・睡眠・気分の変動を大まかに確認すること、診断書を書く、処方箋を書く、そのくらいの存在です。
(でも、休職するときは、積極的にサポートしてくれました。あの時は休職するという判断も自分でできないほど、思考・感情が低下していました・・・)。
うつの奈落の底にいたときのわたしは生ける屍でした。
もし休職が2年続けば退職しないといけません。
そうなると夫婦とも参ってしまって離婚を選ぶ人もいると聞いたことがあります。
そう考えるとわたしは幸せなのかもしれません。
リハビリ出勤(試し出勤)が決まったときも、嫁さまは穏やかに「そう、会社に戻れるのね」とだけ言ってくれました。
内心喜んでくれていたと思うのですが、もしも言葉で「よかったね!」と言われるとそれ自体が「復職を成功させねば!」というわたしの心の負担になります。
そこまで言葉を選びつつわたしの現状を唯々受け入れることに徹してくれていたのかなと思います。
・・・「いいじゃない。ゆっくり休んで。病気なんだから、お互いさまでしょ」と言ってくれたあの日の夜のことは生涯忘れません。
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